「親の判断能力が落ちたら、資産はどうなるのか」
司法書士として相談を受けていて、いちばん多い誤解があります。それは「家族なんだから、何とかなるだろう」というものです。
結論から申し上げます。何とかなりません。
この記事では、認知症の診断がついた日に何が起きるのかを、10個のチェック項目として整理しました。ご自身の家庭に当てはめながら読んでみてください。一つでも当てはまれば、準備を始めるタイミングです。
目次
そもそも「凍結」は、死亡時だけではありません
多くの方が、口座が凍結されるのは名義人が亡くなったときだと思っています。
実際には違います。金融機関が本人の判断能力に疑いを持った時点で、実質的に凍結されます。
窓口で口座番号を思い出せない。同じ質問を繰り返す。担当者がそう判断すれば、その場で手続きは止まります。診断書の有無は関係ありません。
そして一度止まると、家族が代わりに手続きすることはできません。ここから、10個のチェックが始まります。
【資産編】あなたの家は、いくつ当てはまりますか
□ 1. 親名義の自宅に、親が住んでいる
施設入居が必要になったとき、自宅を売って費用に充てる。多くのご家庭が考えるプランです。
しかし不動産の売買契約には、本人の意思能力が必要です。「この家を、この金額で、この人に売る」ことを理解し判断できる状態でなければなりません。
司法書士は登記申請にあたって必ず本人と面談し、意思確認を行います。判断能力に疑いがあれば、登記は進められません。これは形式的な手続きではなく、本人の財産を守る最後の砦だからです。
気づき:施設入居費を自宅売却でまかなう計画は、認知症が進行した時点で成立しません。
□ 2. 親名義の定期預金がある
定期預金の解約は、普通預金の引き出しより厳格です。金額が大きいため、金融機関は本人の意思確認を必須とします。
「介護費用に必要なんです」と事情を説明しても、答えは変わりません。
気づき:資産があることと、使えることは別問題です。
□ 3. 親が株式や投資信託を保有している
証券会社の対応は、銀行よりさらに厳格です。判断能力に疑義が生じれば、原則として売却注文も受け付けられません。
相場が急落しても、見ていることしかできない。これは想像以上に苦しい状況です。
気づき:凍結されるのは「引き出し」だけではなく、「守るための売却」も含まれます。
□ 4. 親が賃貸物件を経営している
これが最も深刻です。判断能力を失った所有者の下で、賃貸経営は事実上停止します。
- 賃貸借契約の更新ができない(貸主本人に契約締結能力がないため)
- 退去が出ても新規入居者と契約できない
- 外壁塗装や給湯器交換などの大規模修繕を発注できない
- 「いっそ売却しよう」もできない
空室は空室のまま積み上がり、修繕できない建物は競争力を失っていきます。それでも固定資産税は毎年かかり続けます。
気づき:収益を生む資産が、維持費だけを食う資産に変わります。
□ 5. 親が会社を経営している、または自社株を持っている
株主総会での議決権行使ができなくなります。役員の改選も、定款変更も、事業譲渡も止まります。
オーナー経営者が過半数の株式を握っている中小企業では、会社の意思決定そのものが停止する事態になり得ます。
気づき:認知症は、事業承継の期限を予告なく打ち切ります。
【手続き編】制度を使えば解決する、とは限りません
□ 6. 「成年後見制度を使えばいい」と思っている
成年後見制度は、確かに凍結を解く手段です。ただし、想定と違う点が三つあります。
①後見人は家族がなれるとは限りません
申立て時に候補者を挙げられますが、決めるのは家庭裁判所です。財産額が大きい、収益不動産がある、相続人が複数いる。こうしたケースでは専門職が選任される傾向があります。
②報酬が発生し続けます
| 管理財産額 | 後見人の月額報酬の目安 |
|---|---|
| 1,000万円以下 | 2万円 |
| 1,000万〜5,000万円 | 3万〜4万円 |
| 5,000万円超 | 5万〜6万円 |
財産が多ければ後見監督人も付され、その報酬(月1万〜3万円程度)も加わります。
③原則として、やめられません
本人の判断能力が回復するか、本人が亡くなるまで続きます。「自宅を売る目的が済んだから終了」にはできません。
気づき:成年後見は「解決」ではなく、長期にわたる「維持コストの発生」でもあります。
□ 7. 相続税がかかりそうな資産規模である
相続税の基礎控除は「3,000万円+600万円×法定相続人の数」です。相続人が3人なら4,800万円。都市部に持ち家があるだけで超えるご家庭は珍しくありません。
そして、ここが最も見落とされている点です。
成年後見人は、相続税対策を一切できません。
- 生前贈与(暦年贈与も、相続時精算課税も)
- 賃貸物件の建替え、法人化
- 生命保険への新規加入
- 資産の組み替え
すべて「本人の財産を減らす行為」だからです。本人が判断できない状態でこれを認めれば、制度の意味がなくなります。
気づき:診断がついた日に、相続対策の扉は閉まります。それ以降は、何も打てません。
□ 8. 「通帳と印鑑があるから大丈夫」と思っている
現実に、そうしているご家庭は少なくありません。しかしこれは法的には無権代理です。本人の意思に基づかない取引だからです。
そして厄介なのは、後になって家族間の紛争に化けることです。
「兄さん、父さんの口座から下ろしてるよね。何に使ったの」
一円も私的に使っていなくても、記録がなければ説明できません。さらに税務署はこうした資金移動を見ています。名義預金と認定されれば、贈与税や相続税の追徴もあり得ます。
気づき:善意の立替えが、相続時に最も高くつきます。
【家族編】見落とされがちな二つの盲点
□ 9. 「配偶者がいるから大丈夫」と思っている
配偶者は、多くの場合ほぼ同世代です。この前提は、思ったより早く崩れます。
そして深刻なのは、母(配偶者)が判断能力を失った状態で父が亡くなった場合です。
遺産分割協議ができません。母に成年後見人をつける必要がありますが、後見人は本人の利益を守る立場なので、法定相続分を下回る取り分には原則として同意しません。
「自宅は同居している長女に」「母は現金だけでいい」といった、家族の実情に沿った柔軟な分割は不可能になります。結果として自宅の共有名義化や、売却を迫られることもあります。
気づき:両親のどちらか一方だけの対策では、リスクは半分しか減りません。
□ 10. 「まだ元気だから、そのうち考える」と思っている
最後のチェック項目であり、最も多く当てはまるものです。
任意後見も、家族信託も、遺言も、生前贈与も。すべて本人の意思能力が前提です。
診断がついてからでは、原則として法定後見しか道がありません。
これは保険に似ています。発症してから加入することはできない。違うのは、掛け捨てではないことです。使わずに済めば、それが一番いい。使うことになれば、支払った額の何倍もが返ってきます。
気づき:判断能力があるうちにしか、買えないものがあります。
チェックの結果は、いかがでしたか
0〜1個:現時点でのリスクは限定的ですが、項目10だけは要注意です。
2〜4個:準備を始めるべき段階です。特に不動産をお持ちの場合、選択肢のあるうちに設計しておく価値があります。
5個以上:早急にご相談ください。資産規模が大きいほど、判断能力を失ったときの損失は加速度的に増えます。
では、元気なうちに何ができるのか
ここまで「何が起きるか」を見てきました。当然、次に知りたいのは「では、どうすればいいのか」だと思います。
選択肢は、大きく三つあります。
- 任意後見契約……後見人を自分で選び、任せる内容を設計しておく
- 家族信託(民事信託)……財産の管理・処分権限を家族に託しておく
- 財産管理等委任契約……判断能力低下前から使える、つなぎの契約
実務では、これらを組み合わせて設計します。どれか一つ、という選び方はあまりしません。
特に賃貸物件をお持ちの場合、家族信託であれば判断能力を失った後も賃貸経営を継続でき、大規模修繕も建替えも可能です。裁判所の許可も不要です。この差は、金額にすると数百万円から一千万円規模になります。
具体的な費用と、実際の事例について
それぞれの手続きにいくらかかるのか。組み合わせるとどう設計されるのか。そして対策の有無で、最終的にいくらの差が生まれるのか。
これらについては、noteで詳しく書きました。
資産1億2,000万円・相続税がかかる規模のご家庭を想定し、認知症の診断がついた日から10年間で何が起きるのかを、金額を追いながら再現しています。
- 成年後見の初期費用と、10年間の総額
- 賃貸経営が止まることによる、具体的な損失
- 任意後見・家族信託の初期費用とランニングコスト
- 両者の損益分岐点
- 相続対策ができた場合と、できなかった場合の差額
前半は無料でお読みいただけます。
▶ もし父が認知症になったら──凍結された1億2,000万円と、消えた相続対策(note)
ご相談について
成年後見、任意後見、家族信託。どれが最適かは、財産の内容と家族の状況によって大きく変わります。一般論では答えの出ない領域です。
司法書士は、登記・財産管理・家庭裁判所への申立てを一体で扱う専門職です。相続税の試算は税理士と連携しながら進めます。
まずは現状の整理から、お気軽にご相談ください。
※本記事の金額はいずれも一般的な目安です。財産の内容、地域、事案の複雑さによって変動します。具体的な税額の試算については税理士にご確認ください。
